parent & child bowl

仮に僕が幼子だったとして、街を歩く大人を見て親だと思うだろうか。
あるいは僕が中年になり、公園で遊ぶ子供を見て我が子だと思うだろうか。
当然いずれもnoだ。
つまり先ほど胃に収まった「秋鮭といくらの親子丼」を含む大方の親子丼は、同じ種の違う世代丼とでも言うべき代物だったのである。
 
 
dizzy my future
silly my way
出張の煩わしさと一時の富裕。