太宰に足を踏み入れてみた

先月から、オレは片道一時間半という通勤時間を利用して毎日読書に耽っているんだけど
読みたい本は一通り読み終わったから、「文学」に挑戦してみようと思い立った。
今の方が、中高の頃に夏休みに無理やり読まされた時よりは、しっかり読めるのではと思った。
また電車の中で文学作品を読み進める…そんなオレ…素敵じゃん!とも思った。
(てか「文学」という括りが難しい。小説ってもの自体が「文学」の一体系みたいだけどすべての小説を「文学」とは一般に呼ばないだろうし。暗黙のカテゴライズがあるのですか?誰か教えて欲しい。ちなみにリアルオニゴッコとかも「文学」とか言うんだったらメディアはもっと入り口の警備を強化して欲しい。厳重にな!…取り乱しました。あれはアイデアは天才的だとは思うんだけど。この場合指すのは「芸術的な小説作品」とかそのへんだろうか。)
それが先週の土曜日。
とりあえず読んだ二冊の感想(自分のためのメモ)です。
太宰ファンはもちろん、そうでない人も読まないのがいいです。たいしたこと書けません。
 
走れメロス

走れメロス (新潮文庫)

走れメロス (新潮文庫)

表題作含む全9編の短編集。
走れメロス」。文の牽引力、メッセージ性のわかりやすさ、それと何よりあの暑苦しさが好きだ。
「ダス・ゲマイネ」も案外好き。テンポと意外性の妙。
しかし「女生徒」は…!
女子高生に自分の西洋かぶれっぷりを押し付けすぎと一旦思ってしまったため
その後読み続けるのに体力が要った。
というか全体の半分以上エッセイだった…!
短編にはエッセイも含まれることを知った24の秋。
 
・斜陽
斜陽 (新潮文庫)

斜陽 (新潮文庫)

貴族の女性が主役。
一行も感情移入も共感もできなかった。
貴族女『〜と思えてならない。』
オレ (なんでーーーー!?)
読みが浅いのだろう。感銘受けず。
ただ太宰の生家「斜陽館」には以前に訪れたことがあったから読んでみたかったのでした。
雰囲気はそこはかとなく記憶の生家と一致。
悔しいけどそれぐらいの印象しかない。
 
☆ここまでの太宰作品の印象
ひとまず二冊を通しての印象。
作品一つ一つの中の太宰自身の存在感が色濃い。当然と言えば当然だろうけど想像を絶した。
死にたがりだし、上流階級だし、それに対する引け目がある登場人物。
それの影響か、女性主人公でもその中の人(太宰治)を変に意識しまって正常な読解ができない。
オレってば…もうっ、しっかり!
後日「津軽」「人間失格・桜桃」も読む予定。ひとまず違う本で休憩。
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