5センチメンタル

テレビを見るにしても活字を追うにしてもネットを漁るにしても集中できない。
「容易いはずの幸せな自分予想図」は頭にあるけどそれを実現する場所も相手も今はない。
とにかくやりきれなくて、焦って、軽くパニクっていた。
PS2にDVDを入れてから外の自販機にコーヒーを買いに行った。
秒速5センチメートル
心がこんな状態の時、これを観て落ち着く習慣ができてきつつある。
部屋に戻り今日は三話目かな、と三つの短編から気分に合ったものを選んで再生する。
コーヒーの蓋を開け、たばこに火を付けて部屋の明りを消した。
三話目は大人になった二人の話だ。
あらすじは語らないが語ればひどく面白くないものになるだろう。
惹きつけられるのはそれまでの過程にあった出来事や選択や思い、失っていく何かやそれに手を伸ばそうとするようなセンチメンタル。作品と同じではないにしても自分が積んできたものの中に似たようなものを見つけ、実感として切なくなる。
この感情は普段漠然として湧き上がる切なさよりも正規の手順を踏んだような感覚がある。
自分の青い記憶が蘇って得たそれと今の実生活のそれ。比べるべくもなく時間の経過による感情の劣化がない時代のものの方が強烈だ。だけど観る前からわかっていること。大事なのは、馬鹿じゃねー?とあざけ笑えないのは。つまらない埃を吹き飛ばしてそれを露わにしてくれる気がする。何度でも言いたい。僕はこの映画が好きだ。